トークイベント「なぜ大学生はSFに惹かれるのか? 〜限界研×山田正紀×大学読書人大賞元推薦者〜」支援企画として、「伊藤計劃を読むためのn冊」(『Genkai vol.3』収録)再掲していきます。
- 作者: 栗本薫,野川いづみ
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/01/10
- メディア: 文庫
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僕は小学校の頃、よく四階の教室の窓枠に腰掛けて、外を眺めていた。その教室は校舎のほぼ中央に位置しており、渡り廊下や校庭、そして校門から裏口まで、グラウンドを除いた学校の敷地のほとんどが見えた。目に映る景色はほとんど僕の世界のすべてであって、僕は爽やかな風を感じながら、いつも満ち足りた気分だった。
……栗本薫も、そんな風を感じながら育ってきたのだろうか。
栗本薫は小学五年の時にSFマガジンを買って以来SFファンになったらしいので、もしかしたら小学校の教室で栗本薫はSFを夢想していたのかもしれないと考えると、僕はなんだか嬉しくなる。
そういう視点で『レダ』を読むと、主人公レダの生き方は、学園の校訓「なおく、あかるく、むつまじく」そのもののように感じるし、キーとなる場所の一つ「南A16」の様子はまさに、園歌(西條八十作詞)の歌詞「輝くさみどり清き微風」に思えてくる。
『レダ』。
それは栗本薫が書いた、完璧な社会という概念自体に抗議を突きつける、日本SF史上屈指の社会派SFである。
伊藤計劃の『ハーモニー』が死への欲動(タナトス)を中心に据えたディストピア/ユートピアSFであったのに対し、栗本薫の『レダ』は生への欲動(エロス)を中心に据えたディストピア/ユートピアSFである。四冊しか残さなかった男と、約四百冊を残した女。僕はここに、一つの相似を見る。
「たいていの市民はね――自分の自己評価と、他人の評価のくいちがいに悩む、というような発想をまずしないし、きいても何のことかわからないでしょうよ。というのも、かれらには、他人の評価からかけはなれて存在する自己評価、などというものが、想像もつかないからよ」
「自己評価――それも内在的な、理想と現実のファクターで区切られた――をもちあわせていない、ということは、つまり、最も重大な、自分の『こころ』というものを、もっていない、ということではないか」
このように、『レダ』に描かれた世界は、まるで『ハーモニー』の続編のような世界と言っても良いだろう。(もちろん『レダ』の方が20年以上も前に出版されているのだけれど)
作品の流れは、オルダス・ハクスリー『すばらしき新世界』に、アーサー・C・クラーク『銀河帝国の崩壊』(もしくは『都市と星』)を足したようなもの。ハクスリーの人工孵化をフラスコ・ベイビイに、野蛮人をディソーダーに変えて、クラークのダイアスパーをファーイーストに、リスをスペースマンに変えれば、もう『レダ』の舞台はほとんど整ってしまう。
栗本薫はオリジナリティに重きを置かない作家であり、むしろ人の作品を利用して更に飛躍を試みるタイプの作家であった。『レダ』の作中には『すばらしき新世界』からの引用があり、そのあとに「それはオリジナルである必要もないし、オリジナルだからといって、あるいはそうでないからといって価値がかわることもないでしょう」という台詞があることからも、そんな姿勢が窺える。
では、いったい『レダ』はどこが凄いのか。
それは、描写、という一言に尽きる。
描かれる社会の解説は異様なまでに詳しく、まるで社会学の論文のようでありながら、しかしそれは、社会がこうだとこういう悪が生まれます、と訳知り顔で分析するような学者の話とは違い、作者自身の生の考えが伝わってくるような熱を帯びている。
主人公の成長には栗本薫の青春が凝縮され、人と自分との関係に悩み社会との距離を感じるようになる青春時代の心情変化が、ここまで初々しく描かれているのには敬服せざるを得ない。
きっと栗本薫は、子供の心を忘れない作家だったのだろう。
大人になって社会の歯車になった自分に違和感を覚えなくなるなんてことにならず、一人ひとりが世界の主人公でいて欲しい。「物語は終わらない」という言葉を好んだ栗本薫の文章からは、そんな思いが伝わってくる。
大人になる、完成する。そんなことへの抗議――そんな意味でも、栗本薫は「未完」の作家だった。
未完に終わった「グイン・サーガ」の新装版の後書きで、栗本薫はこう書いている。
「自分がもしかなり早く死んでしまうようなことがあっても、誰かがこの物語を語り継いでくれればよい。どこかの遠い国の神話伝説のように、いろいろな語り部が語り継ぎ、接ぎ木をし、話をこしらえ、さらにあたらしくして、いろんな枝を茂らせながら、それこそインターネットが最初空想していたような大樹になってもよいではないか」
最後に、栗本薫『心中天浦島』の真似をして、僕もこの文章にBGMを指定しておこう。何となくこの歌は、レダを思い起こさせるのだ。
B.G.M.「本能」by椎名林檎(ドージニア道人)
↓↓トークイベント詳細↓↓
なぜ大学生はSFに惹かれるのか?
〜限界研×山田正紀×大学読書人大賞元推薦者〜会場:阿佐ヶ谷ロフトA
日程:2月9日
時間:OPEN 12:00 / START 13:00
チケット:前売¥1,500 / 当日¥1,800(共に飲食代別)※前売券はe+とロフトAウェブ予約にて1/11(土)12:00より発売!!
【登壇者】
司会
●飯田一史(限界研・文芸評論家)
出演者
●山田正紀(SF作家クラブ・SF作家)
●藤田直哉(限界研・SF作家クラブ・SF評論家)
●佐貫裕剛(2012年大学読書人大賞・伊藤計劃『ハーモニー』
推薦者)
●大塚雄介(2013年大学読書人大賞・伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』推薦者)今、SFが活況を呈している。
今回の企画主催の限界研が2013年7月に出版したSF評論集『ポストヒューマニティーズ』も、SFの活況を前提に書かれている。 そしてその盛り上がりの一つの例として、「大学生の本好き」を象徴する大学読書人大賞でもSF作品が受賞していることがあげられるだろう。これを見ると、SFが盛り上がっているというのは、若い世代にも訴求していると言える。それはなぜだろうか?
限界研の飯田一史を司会進行に、ゲストに先行世代のSF作家・山田正紀、SF評論家の藤田直哉、そして実際に若い世代である過去の大学読書人大賞でSF作品を推薦していた現役学生を招き、SFの盛り上がりを分析する!!!
主催:限界研
協力:SF作家クラブ、大学読書人大賞(以上、公式ウェブサイトより)