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限界研読書会――杉田俊介『男が男を解放するために 非モテの品格・大幅増補改訂版』


文責:蔓葉信博


 現代社会における「男性ということ」の問題は、さまざまな場面で表出している。雇用問題や男女間、はたまな家庭環境や趣味の領域まで、また女性におけるいくつかの課題は、実のところ男性側の問題であることもしばしば指摘もされる。
 社会と女性との関係においては、課題は今も山積みとはいえ、フェミニズムという学問分野において検討されてきた長い歴史があり、いくつかは改善もされている。
 一方、男性にまつわるあれこれの諸問題のいくつかは、そもそも問題として考えれられてこなかったものもある。それは、男性側が圧倒的にマジョリティであるがゆえであり、それは見過ごしてはならない。とはいえ、その男性もあらゆる場面であらゆる男性がマジョリティとしての強権をふるえるわけではなく、取りこぼされる一部の男性についてや、そもそも社会全体が「男性ということ」自体を要請しているという観点が議論されるようになった。そうした問題が、近年「男性学」として取り上げられるようになったのである。


 限界研の会員でもある杉田俊介氏が2016年に集英社新書から刊行した『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』も、その男性学で欠かせぬ一冊である。

 今回は、2023年にその『非モテの品格』の増補改訂版として生まれ変わった『男が男を解放するために 非モテの品格・大幅増補改訂版』の読書会(2023年11月)について、簡単にレポートする。


 『男が男を解放するために』は、副題にもあるように『非モテの品格』を大幅改訂し、さらに「第四章 弱者男性たちは自分を愛せるか──インセル論のために」と「第五章 男性たちは無能化できるか──水子弁証法のために」という二章を追加している。
 この二章で軽く新書分の分量になっており、量的にも注目に値するが、さらには「非モテ男性 → 弱者男性 → インセル」と議論の対象が少しずつスライドしており、時代の変容を掴み取ろうとする姿勢が読み取れるはずである。


 それと、これは批評というものの難点だと思うが、読者の方々が思うほど、高尚な理論のみで議論が進むわけではない(この紹介レポートの文体も硬すぎると個人的に思うが、テーマや気負いのため、この文体を手放ないところがある。これは個人的に毎回悩む)。


 むしろ『男が男を解放するために』では、あっけらかんなほど「杉田俊介」という一人の男性としての切実な葛藤が例示されている。そして、その葛藤は文中で必ずも解決されるわけではない。
 また具体例も映画「ザ・バットマン」や「イニシェリン島の精霊」「ドライブ・マイ・カー」、漫画「火ノ丸相撲」などの具体的な作品を手がかりに、進むべき道を行きつ戻りつ探っている。

 そこにはメタ的に対象を見下ろすのではなく、同じ目線で議論を進めたいいという著者の姿勢が現れているとは言えると思う(とはいえ、他人であるがゆえに、ずっと同じ目線であることも難しいのだが)。
 解決を求める読者からすれば、やきもきもするだろうし、これはいたしかなたいところと思う。コツコツと積み重ねる議論は、わかりあえないと壁を作りがちな現代で、非常に重要だと思う。この方法で届かない読者には、別の方法を考えるしかないのだろうとも。


 そのため、しばしば、著者の議論に追いつけないところもあろうかと思う。読書会の中でも、「資本主義」という言葉の使い方から、加速主義的資本主義について、そもそもの概念把握の是非まで議論になった。また、同じゲームファンがインセル化してしまった話や、障害者雇用の同僚との接し方など、参加者の体験なども話題に上がり、テーマのためか議論の幅はいつもより広がっていたと思う。
 私が気になったところは、個人でどうにかすべき問題と、そうではない問題があるなということであった。男女間の問題もそうだし、労働の問題でもそう感じることは多い。男性学でも、企業や専門組織と上手く連帯・共闘ができたらと思う。しばしば批判されがちなマッチングアプリであるが、一方でそのサービス側が、女性側だけではなく男性側にも写真撮影やコーディネートなどの施策を講じていることはさほど知られていない。企業側やNPO団体が実施する各種講習会でも男性学の知見を用いるところが増えているともいうし、オンラインでも相互補助的な組織があるそうだ。局所的な話であるが、原田隆之『痴漢外来』では、痴漢行為が性的依存症となってしまった男性が、治療に通うも些細なきっかけで再発してしまう苦悩が記されていた。

また、瀧波ユカリ『わたしたちは無痛恋愛がしたい』第27話では、妻にDVを繰り返していた男性が、DV加害者で集まるグループワークに参加するシーンも描かれている。

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その男性は最終的に家庭の危機的状況を辛くも脱するのであるが、おそらくこれと類似したような事例がそこかしこの男性問題には潜んでいるのだと思う。それにひとり苦しんでいるひともいるだろうし、場合によっては、それで他人を巻き込んでいるひともいるに違いない。現状、道はまだまだ悪路ばかりと思う。それどころか、舗装されたはずの道をガタガタにする行為もさまざまな場面で目にする。
 未来への道程は、険しい。そう感じる。