土屋隆夫『推理小説作法 増補新版』書評
作家になりたい。なかでもミステリ作家になりたい。
そう思うミステリファンは、今も少なくないと思います。
なにを隠そう、僕もそうしたミステリファンのひとりでした。
今では、ミステリの評論をちらほら書くという立場になっておりますが、心のどこかでその夢がちらっと頭をもたげることがないとはいえません。
先日とある評論書のあとがきに、作家志望に向けた言葉を書いたこともありますが、あの言葉の裏にはかつて若かった自分の反省からのものもあったように思います*1。
ひとつの作品をかたちにするということは本当に難しい。
先日発売された土屋隆夫『推理小説作法 増補新版』は、小説誌「EQ」に1991年から1992年まで連載された創作論を柱としてまとめられた本です。そのため、2024年のいまとは状況や認識が異なるところがあるのは否めません。
しかし、作者としての生みの苦しみが全編にわたって刷り込まれており、作家志望の心を鼓舞し、支えになってくれる本は『推理小説作法』以外に思いつきません。
おそらく2024年現在におけるミステリ作家志願者のためベーシックな本といえば新井久幸『書きたい人のためのミステリ入門』を挙げる人は多いことでしょう。ミステリの技術的な「てにをは」や、志望者ならではの落とし穴を回避する術など、いくつもの有益な指摘にあふれております。
しかしながら、土屋隆夫の本格ミステリを作り上げようとする熱意や、作家ならではのポイントを本人の手で説明してもらうということは、また別の効果をもたらすように思うのです。
「虚の世界を描いて、実の世界を感得させる」
「動機の設定は、彼らが呼吸している「時代」と必ずしも無縁ではない」
「時間は、乏しい才能の持ち主にとって、唯一の味方である」
テーマ論やプロット考案についての記述の端々に見られるこうした言葉は、創作者ならではのものではないでしょうか。
特にテーマ論のなかで展開される動機設定の重要性については、今も創作に活かせることは間違いないはずです。1949年におきた松川事件という戦後最大級の冤罪事件の経緯を説明しながら、ミステリにおける真偽の限界や、そのうえでなされるべきことが論じられています。特にいまも未解決の冤罪事件や、また倫理的に問題はあるが法的には罰せられないという事件も見聞きします。そうした難題にミステリとしてできることがあるのではないか、と思わずにはいられません。
また、作者の人生観や生活によって、そのテーマが生きもし死にもするといい、具体的な創作指南の一方で、作者の人間性自体を問いただしてくるところにもハッとさせられます。トリック偏重主義から距離を置くために提示された「人間が生み出す謎」というテーゼにもそうした人間性への問いがあらわれているのではないでしょうか。
他にも自作やその創作メモを例示しながら、さまざまな観点からミステリ作法を説明してくれる、大盤振る舞いの本といえます。
なかでも実際に発表済みの「三幕の喜劇」という自作短編で、それまで説明した創作論を具体的に裏打ちしていくというのも創作者ならではの大胆な試みです。
ささいなことながら「第四章 創作メモの活用」の第一節で松本清張『点と線』、第三節で土屋隆夫『危険な童話』、「第六章 ストーリイについて」の第三節でクリスティ『アクロイド殺害事件』のトリックを明かしているので、気になる読者は近づいてきたらスルッと読み飛ばしていただくとよいかと思います(個人的にはミステリ作家志願なら上記は読み終えていることが望ましいと考えますが)。
とある評論書のあとがきにも記したことの繰り返しになりますが、作品を書こうとしても書けないときには、なにかしら外部のちからを借りることで、その難所を越えることができる場合があります。
本書の端々からにじみ出る熱意が、創作者の良き伴走者となると僕は信じております。(蔓葉信博)