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宮内悠介『盤上の夜』【評者:海老原豊】

 本書は、第一回創元SF短編賞で山田正紀賞を受賞した表題作「盤上の夜」と、それに続く形で書かれたボードゲーム(将棋、囲碁、麻雀、チェッカー)を扱った短編からなる。「盤上の夜」は四肢を喪失した女性棋士・灰原由宇が、碁盤を自分の感覚器官の(比喩的にではなく文字通り)延長とし、どんな碁を打つのかが、業界ライターの語り手によって明らかにされていく。ノンフィクション風の文体が綴るのは、由宇と相田という一組の男女の出会いだった。愛とも信頼とも、なんとも形容しがたい二人の関係を、この語り手は可能な限りなぞろうとする。

盤上の夜 (創元日本SF叢書)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)

 この連作短編集をさらに楽しむために、知性がどのように生まれるのかについての2種類の考え方を確認しておくとよい。ひとつは、完全なトップダウン型。神が人間を創ったとでもいえば分かりやすいが、人間の知性にはそれを統御する意識の実体、考える我、「小さな小人」があるとする考え方。対して、ボトムアップ型。創発やネットワークともいえる。思考パターンのモジュール(部分)を組み合わせていくと、じょじょに動きが複雑になり、やがては知性と同じ振る舞いをするようになる。この両者の間に特異点=シンギュラリティがある。ボトムアップでモジュールを積み上げていくとある瞬間に知性が誕生するとされ、この瞬間こそ特異点という名で呼ばれる。

 この知性のトップダウン/(シンギュラリティ)/ボトムアップの図式がどうして重要なのかというと、この短編集に収録されている短編のいくつかは、人間知性が人間の手から離れていく瞬間、あるいは機械知性が人間知性に伍する瞬間を結晶化させているからだ。前者は「四肢の欠損」という非‐人間的な条件として、あるいはサヴァン症や統合失調症という状態としてあらわれる。そして完全解を導いたチェッカーの人工知能プログラムは後者にあたる。どの考え方が正しいとか間違っているとかそのような次元での話ではなく、階層移動の問題だ。私たちの世界には盤上の世界が内包されているように、私たちの世界もまた「ひとつ上の世界」によって内包されうる。

 とりあつかっているゲームは身近なものがおおい。だが、テーマの広がりはこの世界の枠組みを超える可能性に満ちている。