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【日本SFサイシン部07】ポストセカイ系ハードSFの誕生――六冬和生『みずは無間』(ハヤカワJコレクション) 

最新の日本SF(出版されて、せいぜい半年以内)の最深部に迫る! 書評コーナー。

「せいぜい半年」という縛りだったが、第7回は発売後8ヶ月の作品。今週末にひかえている日本SF大会「なつこん」に著者本人が参加し、海老原も司会で企画に関るため、急遽とりあげる。(新生・復活)ハヤカワSFコンテストの第一回受賞作・六冬和生『みずは無間』だ。


この小説はどんな小説か?

縦糸に宇宙探査と生命進化のハードSF、横糸に彼と彼女の日常。絡み合うとは思えない異色の二本の糸はしかし、奇妙で、美しく、そして恐ろしい一枚の壮大な世界を織り成す。 

語り手・雨野透は人類が開発した惑星探査衛星に搭載されたAI。AIといっても無から構築されたものではなく、現実の人間・雨野透の電子的コピーである。彼は暇をもてあまし、自分の機体をノイマン型コンピューターから量子コンピューターへと改造。彼が考える「人間の限界」をやすやすと超える。あまった計算リソースで、情報生命体Dを作る。かなり気合の入った暇つぶしだ。物理的外縁をもたない情報生命体Dは進化し、やがて知性を備え、創造主たる雨野にコンタクトしてくる。彼ら(それら?)の願いを受け入れ、雨野はDを自身から切り離す。

情報知性体を作るだけではなく、雨野は彼自身も分裂させる。量子コンピューターによって、自分を分岐させ(コヒーレンスさせ)、その姿を記録、一つの状態に収束させた(デコヒーレンスした)のちに、記録・複製した自分を大宇宙に散布したのだ。こうして雨野の手によってばら撒かれたDと分裂した雨野(「俺」)は、数百年、数千年、数万年の年月を経て変容し、再び接触する。雨野のいくつかのバージョンは、独自進化を遂げたDの派閥、〈再定義派〉〈移植派〉〈デコヒーレンス派〉と邂逅する。Dの派閥は、自分たちで考えた行動指針をもち、雨野に協力を訴えかけるのだ。

…という宇宙規模の生命と知性の物語が縦糸。本書の見所は、このクラーク/小松左京/イーガンばりのハードSFに絡む横糸の存在。それは雨野透が地球に残してきた恋人・みずはとの思い出だ。人格転写が行われた時点で雨野に刻み込まれたみずはとの思い出は、人工知能となったあとの彼にもついてまわる。みずはは、一言でいえば「めんどうくさい女」。依存性が強く、持病の糖尿病もあり、常に何かを口にしている。飢餓にさいなまれている。

雨野もまた、みずはとの記憶を通じて飢餓を感じる。飢餓には強く飽食には弱いといわれるほど、人類はその歴史において飢餓に苦しめられてきた。雨野は、彼が生み出したDが、人間の根源的な飢えへの恐怖から無縁であるように、Dの主食である情報を無尽蔵にあたえ、宇宙に解き放った。しかし、そのDにすらみずはの影=飢餓は付きまとう。

縦糸(宇宙、生命、知性)に、絡みつく横糸(みずは=飢餓)。雨野は、絡み取られていく…。

では、この小説のすごいところはどこにあるのか?

『みずは無間』はポストセカイ系であり、新しい人間と宇宙の関係性を想像/創造している。

これまでの人類進化を主題とするハードSFには、人間の限界を宇宙との衝突によって、ある種、弁証法的に超克する過程を描くものがあった。楽観主義で、テクノロジーへの圧倒的な信頼があり、時には帝国主義的/植民地主義的まなざしが宇宙に向けられた。それに対し、「ひきこもり系」とも形容された「セカイ系」作品では、自分が抱える悩みこそが世界であると読みかえられ、自分の苦しみを解決することが世界への救済の可能性をもたらすとされた(それを揶揄して「世界」は「セカイ」と表記された)。六冬和生『みずは無間』は、楽観主義的ハードSFでもなく、ひきこもり的セカイ系でもない、新しいSF観を打ち立てている。

くよくよと悩んでいる人に向かってする「そんな悩み、宇宙の大きさに比べたらちっぽけなものだよ!(だから気にするな)」という励ましを耳にしたことがあるかもしれない。宇宙の規模に比べれば(比べられたとしてだが)、なんだってちっぽけに思える。しかし、本当にそうなのだろうか? その悩み、実は、宇宙すら呑み込んでしまうものではないのか? 『みずは無間』が恐ろしいのは、テクノロジーによって私小説的な「そんな悩み」を宇宙規模に拡大・散布し、従来のハードSF的土俵にあげ、宇宙そのものと対峙させたことにある。テクノロジーを信じること。そしてまた人間の本質(悩み、苦しみ)を信じること。この二つの絶妙なバランスをとることに成功しているのが『みずは無間』なのだ。(海老原豊

イベント紹介
第53回日本SF大会「なつこん」

銀河無間! 六冬和生×宮西建礼対談
日 時:19日16:00
場 所:201B号室
出演者:六冬和生、宮西建礼、海老原豊
『みずは無間』で第1回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞された六冬和生氏、『銀河風帆走』で第4回創元SF短編賞を受賞された宮西建礼氏。読書遍歴が異なるお二人ですが、「SF夏の時代」に生まれた最先端作品の、共通点と視点をめぐる対談です。
公式ウェブサイトより)

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