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「日常」が成立しなくなった21世紀における「日常の謎」【評者:海老原豊】

「日常」が成立しなくなった21世紀における「日常の謎
加納朋子七河迦南坂木司そして米澤穂信


評者:海老原豊


加納朋子「スイカジュースの涙」(『ななつのこ』所収)の結末に言及しています

北村薫が『空飛ぶ馬』で〈円紫師匠〉シリーズを始めて以来、「日常の謎」がミステリ内サブジャンルとして定着するに十分な作家・作品が登場した。加納朋子若竹七海倉知淳大崎梢坂木司。アニメ放映中の『氷菓』の〈古典部〉シリーズの米澤穂信もまたその一人だ。「日常の謎」の舞台たる「日常」は、ミステリではお馴染みの大仰なトリックや密室殺人といった非日常の仕掛けから無縁の空間を指していると考えられる。しかし一連の「日常の謎」作品を追っていくと、この「日常」空間が時代とともに変容していくことに気がつく。

例えば加納朋子。『魔法飛行』『スペース』へと続く〈駒子〉シリーズの第一作『ななつのこ』に描かれる「日常」をみてみよう。作中作『ななつのこ』に感銘を受けた語り手・入江駒子が作者・佐伯綾乃へファンレターをしたためる。そこに書かれた「日常の謎」に佐伯が「解決編」で返事をする。謎発見の過程が作中作『ななつのこ』と連動するのは、北村〈円紫師匠〉シリーズの落語の働きを踏まえたものであり、小さな謎とその解明がより大きな謎、「佐伯綾乃とは誰か」へとつながるのは、若竹七海『ぼくのミステリな日常』を連想させる。まさに「日常の謎」形式の王道であるが、しかし第一話「スイカジュースの涙」の謎=点々と路上に続く血痕からして、はたして加納の描く「日常」が、新本格が好んだ非日常的ミステリ空間と無縁のものかは怪しい。犬とはいえ「死体消失トリック」を、閉ざされた館ではなくアスファルトで舗装された都市空間でやらなければならなかった。加納朋子「日常」は、すでにミステリ的非日常に侵されている。

例えば七河迦南。デビュー作『七つの海を照らす星』は、「日常の謎」に分類される学園ミステリ。ただし、と注意書きをつけなければならない。舞台は学園といっても学校ではない児童養護施設・七海学園、語り手・北沢春菜はそこに勤める保育士、探偵役は児童相談所の担当福祉司・海王。学園でおこる問題と、背後に潜む謎に悩む春菜は、海王から「新しい解釈」を与えてもらう。積み重なっていく小さな謎とその解明は最後に大きな物語へと昇華する。ここでも枠としての「日常の謎」は堅持されているが、そこで描かれる日常はがかつてであれば非日常と呼ばれたものだ。日常から暴力的に疎外されたトラウマとして表出する子供たちの問題は、「日常の謎」の形式を借りて語り直される。

もはや「日常の謎」が舞台にする「日常」「日常」と呼べるものではないのかもしれない。例えば坂木司。『青空の卵』から続く〈ひきこもり探偵〉シリーズの「日常」も、社会的ひきこもりが社会問題化した現在でこそ「日常」といえるだろうが、北村が考えていたような意味での「日常」からはだいぶ遠いところにある。もはや誰もが共通して了解できる「日常」を21世紀の日本に見出すことが難しい。虐待の「日常」、ひきこもりの「日常」といったふうに、百人百様の「日常」があるだけで。それでは、「日常の謎」はもはや成立しなくなったのだろうか? 

ここで論理を転倒してみよう。「日常を語る」のではなく、「語られるものが日常」といったふうに。〈ひきこもり探偵〉こと鳥井真一は、かつての人間関係の軋轢を経験して以来、積極的に人と関ろうとしない。だが、旧友の坂木司(登場人物名)の提示する謎に答えることを通じて、ゆっくりとだが確実に人間関係を構築することに成功する。最終的に「ひきこもり」の原因とも対峙し、ある種の解決さえ与えている。ここで重要なのは、語り手と探偵役の間で応酬される謎‐論理的解明が、鳥井が現にそうしたように、信頼できる人間との関係構築に一役買っていることだ。(謎として)語られる日常は、(その)語りを可能にする仲間たちなくしては成り立たない。こうしてできあがった共同体は、国家や民族といった大きなものではないという点で中間共同体である。中間共同体は次の3要素を満たすものだ。

1 物理的に同じ空間にいる=見える
2 互いに尊重しあい対話できる=話せる
3 同じ話題を共有し楽しみを分かち合える=笑える

この3要素を満たす中間共同体としてまっさきにうかぶのは、部活だ。米澤穂信古典部を念頭におけば理解は早い。21世紀という現在、誰もが共有しうる「日常」はすでにない。それでもなお「日常の謎」ミステリが書かれ続けるのは、実は「語られるものが日常」という論理の転倒が背後にあるからだ。謎‐論理的解明は、それを「見える」「話せる」「笑える」中間共同体の成立とパラレルである。米澤穂信の〈古典部〉シリーズ、〈小市民〉シリーズ、それに『さよなら妖精』といった「日常の謎」作品は、この21世紀的「日常」の謎と、その背景にある論理の転倒を先鋭的にえぐりだしている。

…「日常の謎」作品の構成要素と、米澤穂信の作品論については、限界研編『21世紀探偵小説』(南雲堂)収録の拙論「終わりなき「日常の謎」」で。

ななつのこ (創元推理文庫)

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七つの海を照らす星

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青空の卵 (創元推理文庫)

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海老原豊(えびはらゆたか)
1982年東京生まれ。第2回日本SF評論賞優秀作を「グレッグ・イーガンとスパイラルダンスを」で受賞(「S-Fマガジン」2007年6月号掲載)。「週刊読書人」「S-Fマガジン」に書評、「ユリイカ」に評論を寄稿。