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小森健太朗『探偵小説の様相論理学』レビュー【評者:蔓葉信博】

小森健太朗『探偵小説の様相論理学』


評者:蔓葉信博


※諸事情あり、クロスレビューではありません。ご了承ください。


 本書は『探偵小説の論理学』の姉妹編にあたるが、この本から小森の探偵小説論について読み進めてもらっても基本的に問題はない。『探偵小説の論理学』での議論の多くは、あらためて本書でも説明されているからだ。むしろ考えによっては本書から読み始めた方がいいかもしれない。というのも、本書の半分は過去に発表された小論が収録されているからだ。小論ごとに結論が提示されているため、評論に不慣れな読者も議論の筋道を追っていくことができるはずである。

 各小論は与えられたテーマについて論じている一方で、小森の考案した「ロゴスコード」という探偵小説の問題について考えたものでもある。この「ロゴスコード」とは、犯人を限定するための推理にまつわる論理ではなく、一般通念や社会倫理のなかに通底する論理について考えるための用語だ。一般通念などの言葉で整理されていた容疑者や犯人などの人物背景を、この用語を用いることで探偵小説内部の論理の問題として論じている。複数の作品に共通する傾向を議論するために、その傾向の形式を抜き出してみせたわけだ。こうした形式的な考察は過去、あまり行われてこなかった。その意味でも本書の仕事は称賛に値する。

 なおかつ、この形式化については、探偵小説が本来的にかかえる問題とも通じている。他のジャンル小説にはない探偵小説独自のジャンル設定として、大なり小なり「謎と解決」が描かれていることが求められている。とくにその「謎と解決」が読者にもフェアなかたちで描かれているものを、ミステリファンは「本格探偵小説」や「本格ミステリ」と呼んでいるのである。本格探偵小説の場合、読者にも作中の探偵役と同じ証拠が何かしらのかたちで提示され、フェアなかたちで謎に取り組めるように書かれている。そのフェアなかたちを成立させるため、多くの作家は事前に設計図のごとき詳細なプロットを用意する。そのプロットは、他のジャンル小説とは段違いに手間がかかるのだそうだ。

 どんなに登場人物がいきいきと描かれていようと、そのプロットに傷があった場合、本格探偵小説とは認められない。そして優れた本格探偵小説と認められるには、過去の設計図に倣っているとしても作者独自の観点が作品に反映されていなくてはならない。この過去の設計図が、探偵小説が持つ形式的なジャンル設定だ。いわゆる「密室殺人」や「顔のない死体」といった探偵小説独自の趣向も、過去の作品に描かれていた具体的な事件のなかから形式的な設定を抜き出したものだ。こうした趣向が形式的に継承されることで、探偵小説は今もジャンルとして生き長らえているのである。

 そうした形式的な趣向の積み重ねのなかでひとつの問題に焦点が当てられるようになった。探偵小説における推理の真偽はいかに保証されるのかという問題、いわゆる「後期クイーン的問題」である。作中にちりばめられた証拠や証言、事件に潜む矛盾点から推理をし、犯人や犯行を指摘できたとしても、原理的にそれらの証拠や証言が本当に正しいかどうかを判断することはできない。ひょっとすると犯人や第三者によって仕組まれた偽の証拠や証言である可能性を否定できないからである。

 こうした発想から生まれた「後期クイーン的問題」は、法月綸太郎が評論誌「現代思想」に発表した論考に端を発し、その後さまざまな評論家によって論じられ、また幾人かの作家に作品テーマとして取り上げられた。その問題の変遷については紆余曲折あり、拙論「推理小説の形式化のふたつの道」(『21世紀探偵小説』収録)で詳述しているのでご興味の向きは参照されたい。

 その一節では小森の『探偵小説の論理学』も取り上げ、そこでは「ロゴスコード」から導き出された様相論理と探偵小説の関連について具体的ではないとの指摘をした。その点については『探偵小説の様相論理学』の刊行により、十分に果たされた。『探偵小説の論理学』同様、本書も「後期クイーン的問題」を語るために欠かせない一冊というべきであろう。昨今、米澤穂信氷菓」のアニメ化により、一部にあらためて「後期クイーン的問題」についての議論が交わされているが、その検証のためにも本書は有益な観点を提供するはずだ。

 このように探偵小説の論理について本書では縦横無尽に論じていくわけだが、本書の面白いところは取り上げられる作品が必ずしも探偵小説に限らないことだ。必要があると判断された場合、アニメであろうとマンガであろうと探偵小説と同様に論じられていく。たとえば、本書ではゲーム「スクールデイズ」やマンガ「神のみぞ知るセカイ」といったものが重要な作品として検証されているわけだが、おそらくそこには小森の嗜好が色濃く浮き出していると見ていい。

 こうした個人の嗜好を色濃く反映した論考は、公平な論考を求める向きには欠点に見えるかもしれないが、議論の筋道をいちじるしく混乱させるかといえばそうではない。むしろその嗜好の範囲がはっきりしているため、評論上の「遊び」として許容したほうがより楽しい読書となりえるだろう。その遊びの中に実は重要な指摘が隠されているというパターンはとても探偵小説的である。ただ、その本書の考察範囲は作品だけに止まるわけではない。

 そもそもわたしたちの日常生活でも、ある程度の論理的判断によって物事を区別している。いってみればわたしたちはつねにその時代ごとの「ロゴスコード」に従って生きているわけだ。そのため、一概に探偵小説でなくとも、エンターテインメント作品のなかに「ロゴスコード」を見いだすことは難しくはない。それどころか本書の指摘ではそうした作品だけでなく、わたしたちの日常にある「ロゴスコード」も失調しているという。確かに世の中の事件のいくつかは、とても共感できない理由で行われていた。そうした社会情勢に対し、エンターテインメントの範疇とはいえ、数々の物語が答えを導き出そうと奮闘している。本書はその奮闘を検証するためのものさしとして役立つことは間違いない。今後の創作傾向を占うためにも、本書は参照されるべき一冊なのである。

探偵小説の様相論理学

探偵小説の様相論理学

21世紀探偵小説 ポスト新本格と論理の崩壊

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蔓葉信博(つるばのぶひろ)
1975年生まれ。ミステリ評論家。2003年商業誌デビュー。『ジャーロ』『ユリイカ』などに評論を寄稿。『ミステリマガジン』のライトノベル評担当(隔月)。書評サイト「BookJapan」にてビジネス書のレビュー連載。
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