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宮崎駿『風立ちぬ』【評者:旭秋隆】

風は、どこへ吹いているか


――皮肉な悲劇としての『風立ちぬ』――



 本論では、宮崎駿監督最新作『風立ちぬ』を扱う。本作は実在の人物である堀越二郎を主人公としている。そのため、これまでの宮崎駿作品とは一線を画しているといえる。堀越二郎ゼロ戦の制作者だが、彼を扱う本作ではゼロ戦に絡むような政治的イデオロギーの観点をあっさり切り捨てていることが大きな特徴と言えるだろう。


本作の時代背景である大正と昭和という時代は、関東大震災や大不況による失業者で街は溢れ、政治的な面でも大正デモクラシー血盟団事件、大本事件など、まさしく混迷した時代であった。そのため、『風立ちぬ』は、かのような政治的イデオロギーと絡んでしまう可能性を孕んでいるように思われるが、宮崎駿自身が「この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである」と述べているように、そのような政治的観点は切り落とされている。


 では、宮崎駿の言う「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人間」は、どのように描かれているのか。本論では、その分析を行いたい。


ただ、結論を先に言ってしまえば、本作『風立ちぬ』は、この上なく皮肉な悲劇である。他にありえた瑞々しい未来を、時代という「風」が吹いている方向にしか進めない者が、あっさりと取りこぼしてしまう、人間という悲劇である。



――堀越二郎について――



本作の主人公である堀越二郎について簡単に述べよう。技術者としての堀越二郎は、自身の夢に忠実であり、溢れる情熱と比類なき才能の持ち主であることは言うまでもない。そのため、ヒロインの里見菜穂子との結婚が周囲を驚かせたように、飛行機制作以外のことは無頓着な人間だと周囲には認識されていた。だが、人間としての堀越二郎は、周囲のことに無頓着だったわけではなく、むしろ、豊かな感受性の持ち主だったと言える。というのも、彼は基本的に戦闘機を作りたいわけではなく、「美しい」飛行機を作りたかっただけである。


かのような堀越二郎のスタイルは友人の本庄と対照的である。本庄は、欧米列強を意識した、ナショナリストとしての意地が戦闘機を制作する情熱の基盤として存在しているが、堀越二郎の方は、魚の骨の造形に見惚れるシーンもあることから、ただただ「美しい」飛行機をつくりたかっただけの豊かな感受性の持ち主であったと捉えるのが自然だろう。言いかえれば、魚の骨などという自然のものに対して美しいと感じる感受性が、「美しい」飛行機をつくる情熱の基盤となったのだ。



――里見菜穂子について――



そして、そんな彼が里見菜穂子というヒロインに惹かれたのは、必然だったと言える。


ヒロインの里見菜穂子について印象的とも言える場面は、なんと言っても、丘の上にいる彼女が大きな日傘のもと、キャンバスに向かって絵を描いている場面だろう。本作内では、その場面で里見菜穂子が描いていたものがどのようなものか明確にはわからないが、しかし、彼女の絵に対するスタンスだけは理解することができる。


 そのために、菜穂子の状況に注目したいと思う。彼女が絵を描いている場所は、アトリエなどの屋内ではなく屋外であり、劇場予告編でも分かるように彼女は多くの絵の具を持ちだしている。また、彼女が描いたと思われる草原に佇む大木の絵も『風立ちぬ』公式HPで確認することができる。絵画の歴史を紐解くと、絵を屋外で描くようになったのは1840年代である。当時、チューブ入りの絵の具が開発され、様々な色が持ち運べるようになったため、多くの風景画家は、戸外で絵画を制作できるようになった。そして、このように戸外で絵を制作するという流れは、印象主義という作風を生みだした。また、印象主義者たちには見た目の風景だけでなく、雲の動きや木々をゆらす風、夏の日ざしなどのあたたさを表現しようとしたことが大きな特徴と言える。


 つまり、屋外での制作や、道具、題材、時代を加味すれば、里見菜穂子の絵画に対するスタンスは印象主義のものに近い、と推察することができる。換言すれば菜穂子のスタンスは、身の周りにある自然の世界を描くというものであり、そのようなことができるのも、自然に対する感受性の豊かさに裏打ちされている。


そして、その感性は、堀越二郎のそれと通ずるものがある。堀越二郎は「技術」、里見菜穂子は「芸術」に、同じ様な感性の表現を見出したのである。二人は、身近なものを美しいと思う感性を共有していた。異なったのは、「技術」と「芸術」という、その表出方法だけである。



――「風」について――



 では、舞台となった一九二〇年代以後で、「技術」と「芸術」はどのように捉えられていたのだろうか。


 実のところ、日本で「技術」の概念が論じられるようになったのは第一次大戦後の一九二〇年以後からである。ことばとしての「技術」は、一八七〇年に西周の『百学連環』に初めて使われたが、西欧と同様に「技術」も「芸術」も「art」に包括されていた。だが、第一次世界大戦中、日本の工業は飛躍的に発展し、技術者の産業、行政での役割は重要性を増した。以後、「技術」は戦争に協力する科学技術動員体制に組み込まれていく。


ただ、ここで言いたいのは、堀越二郎を象徴する「技術」も里見菜穂子の「芸術」も、根源では同一のものだったということであり、著者が『風立ちぬ』を皮肉な悲劇と評した理由はここにある。つまり、堀越二郎と里見菜穂子の出会いは。時代が時代であれば、二人が並んで絵を描いていたかもしれない、という可能性があったということを示すからである。先述したように、堀越二郎と里見菜穂子は同様な感性の持ち主だった。そして、彼らの象徴である「技術」も「芸術」も元来、一九二〇年代まではほぼ同一なものとして捉えられていた。堀越二郎が里見菜穂子のように、あるいは彼女と出会うことによって「芸術」へ情熱を注ぐ可能性は充分に考えられた。誰かを殺すための「技術」から里見菜穂子と共に命を奪うことのない「芸術」に注力する未来も容易に想像できる。それらの可能性は、終盤において、夢のなかで堀越二郎が、死んでしまった里見菜穂子と再会する場面に象徴される。時代によって引き裂かれてしまった本来、同一のものは、夢のなかで穏やかな再会を果たすのである。そして、堀越二郎を史実のほうへ導き、二人を引き裂くことになった、時代という得体のしれない流れは、そのことは本作で「風」として象徴されているように著者は思う。


今一度、繰り返そう。本作が描いているのは、他にありえた瑞々しい未来を「風」が吹いている方向にしか進めない存在があっさりと取りこぼしてしまう、人間という悲劇である。だが、それだけでは、この物語はただの皮肉を描いたものということになってしまう危険性がある。瑞々しい未来は常にあっさりと手から零れ落ちてしまうことを示すかのような皮肉を伝えることになってしまうかもしれない。しかし、その皮肉な視点も了解しながら悲劇的な存在に向かって、物語は、その皮肉な視点を破壊するたった一言を有していた。『風立ちぬ』は最初から最後まで観客にこう訴えかけていたのだ。


――生きねば、と。