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【日本SFサイシン部06】2004年のゲーム的リアリズム――桜坂洋『All You Need Is Kill』(集英社スーパーダッシュ文庫) 

最新の日本SF(出版されて、せいぜい半年以内)の最深部に迫る! 書評コーナー。

「せいぜい半年」という縛りだったが、第6回は例外! 

トム・クルーズ主演、ダグ・ライマン監督のハリウッドSF映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』が7月4日より全国公開される。


そこで、原作である桜坂洋All You Need Is Kill』をとりあげる。2004年に集英社スーパーダッシュ文庫から発売。今から10年も前の作品なのだ。最初に読んだのは、ついこの間のような気がしていたのだが…。


この小説はどんな小説か?

ゼロ年代に流行った(そして今でも一部では流行っている)ループもの、である。

突如、人類を襲うギタイ。異星から飛来したそれらは、地球を人間にとって有害な――しかし異星の彼らにとっては理想的な――環境へと作り変える生体/マシーンだ。人間の度重なる攻撃に、ギタイは突然変異を重ね、ますます凶悪で人間の手に負えない存在へと変化する。強化装甲服を身にまとい、人類vsギタイの殲滅戦に赴いた学校出立ての初年兵キリヤ・ケイジは、幅30時間のループに取り込まれる。混乱、理解、絶望。死すら出口ではない本当の絶望(!)に取り込まれたキリヤは、しかし、ループをリセット無制限のゲームであるかのようにプレイし、ギタイを攻略しようと考える。

基地のベッドの上で目覚め、仲間たちと出撃前日を過ごし、戦場で敵のスピア弾に体を貫かれる。すると30時間前のベッドの上に目覚め、右手にそれが何周目なのか示す番号を書いてから、キリヤはまた同じ一日を過ごす。ループは百回を超え、初年兵だか最強の強さを得たキリヤは、ある時、「戦場の牝犬」と呼ばれる最強の兵士、リタ・ブラタスキから「おまえ、いま……何周目なんだ?」と言われるのだった。

リタは何者か? なぜキリヤはループに囚われたのか? そして人類vsギタイの殲滅戦の行方は? 物語はこれらの問いに寄り添いつつ、ループしながらも進んでいく。

では、この小説のすごいところはどこにあるのか?

ゼロ年代文化の結晶である。

ひたすら同じ日を繰り返しながら、記憶と経験は蓄積される。無限のループはそれらすべてを経験するかけがえのない一回性を、ループ体験者に逆説的に生じさせる。これが、東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』(講談社現代新書)で「ゲーム的リアリズム」と呼んだものだ。社会のポストモダン化が進行し、無限の可能性の海の中で選択肢に溺れて苦しむ私たちに、それでも選ぶことの必要性を逆説的に照射する新しいリアリズム=ゲーム的リアリズムゼロ年代文化の特徴であり、もっとも先鋭的に写し取ったのが本書『All You Need Is Kill』だといえる(東はほかに細田守監督の『時をかける少女』を本書に極めて近いものとして例示している)。


それから10年後、この小説をどう読めばよいのか? 

ループものというジャンルは、実は、昔からある。本書をウェルメイドなループものということは確かに可能だ。東が本作を高く評価したのは、しかし単なるループものだからというのではなく、この物語がゲームのプレイヤーとキャラクターを重ね合わせる構造をもち、ゼロ年代の私たちの生を切り取ったものだからだ。つまり従来のループものの枠内におさまり切らない新しさが良いのだ、となる。

しかし、もう10年も前の作品なのだ。今、考えてみるべきなのは「ゲーム的リアリズム」の「ゲーム」が変容しているのではないか、ということではないのか。桜坂洋が巻末あとがきで自身のゲームへの情熱を語っているが、ゲームといって彼が念頭においているのは、RPGやアクションゲームだ。『All You Need Is Kill』はそのままSF/ミリタリーアクションゲームにすることだってできる。もちろん、2014年の現時点で、やりこめばやりこむほど熟練度が増していくこの手のゲームがなくなったわけではない。依然として、ある。しかし、もっと他のゲームも登場している。それはSNSをプラットフォームにした(あるいは一体化した)ソーシャルゲームだ。目的はコミュニケーションで、到達地点はない。そこでは、現実世界とゲームの世界が乖離しているわけではなく、ゲームは生活の一部になっている。ゲームの世界に没入する(やりこむ)という感覚ではなく、現実を生きることはゲームをやることであり、その逆も然り。

そういったゲーム/世界が誕生したのがこの10年。そんな世界の「ゲーム的リアリズム」とは何だろうか? 

2010年代の「ゲーム的リアリズム」を描出している作品がある。海外SFになるが、アーネスト・クライトン『ゲームウォーズ』(SB文庫)が、それだ。

舞台は2041年、ジリ貧になっている世界。世界中をネットワークOASISが覆っている。人々のコミュニケーションや生活インフラは、ほぼすべてOASIS上でやり取りされる(教育さえも)。そのOASIS創設者ジェームズ・ハリデー(アノラック)が、死去。彼は、財産をネットワーク上に隠し、それを見つけたものがすべてを受け取るという映像を遺した。ハリデーは3つの鍵を用意し、一攫千金を求めわらわらとハンターたちがOASISに集まる。鍵をあけるヒントは彼が偏愛した1980年代のゲーム/サブカルチャーにあると考えられている。

主人公は現実世界では冴えないギークのパーシヴァル。しかし、1980年代のサブカルチャーに精通し、ゲームの腕は確かだ。パーシヴァルは、誰も何年も解けなかった最初の鍵をあけることに成功し、停滞していた宝探しの熱狂がネットワークに再び沸き起こる。

パーシヴァルたちハンターは、レトロゲームに挑戦しなければならない。そこで求められるのは高度な技術。例えば『パックマン』をノーコンティニューでクリアするといったような。桜坂のキリヤが繰り返し挑んだギタイとの戦闘と同じ、と思えるかもしれない。しかし『ゲームウォーズ』では、プレイヤー/キャラクターであるパーシヴァルは、OASISというネットワーク上のアバターなのだ。現実世界ではウェイド・ワッツという名を持つパーシヴァルは、キリヤとは同じ水準にいない。『ゲームウォーズ』では、アバターの死は、単なるキャラクターの死とは異なるものとして受け止められる。それほどまでに深くアバターは現実にコミットしているために。

では、ゲームの中で不死を獲得したのだろうか? ゲームが現実へと重ねられると、現実の死が最も不可逆的なものとして回帰してくる。事実、作中、アバターを抹消するためにアバターを操っている人間に物理的な攻撃を仕掛ける作戦がおこなわれるのだ。ともかく、『ゲームウォーズ』は『All You Need Is Kill』とは異なる、そして新しい「ゲーム」時代のリアリズムに迫っている。

さて、ハリウッド版『オール・ユー・ニード・イズ・キル』は、果たしてどのような「ゲーム」を描き、どのような生/死つまりはリアリズムを取り扱っているのか。あと1週間が待てない!! (海老原豊




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