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【日本SFサイシン部04】言語を失ったあとのコミュニケーション――福田和代『バベル』(文藝春秋)【評者:海老原豊】 

最新の日本SF(出版されて、せいぜい半年以内)の最深部に迫る! 書評コーナー。隔週で月2回更新を目指す!

第4回は福田和代『バベル』、パンデミック/言語/SF。本作は、言語SFの伝統に連なる作品であり、なおかつ最先端に位置している。本作が切り取る人間のコミュニケーションのかたちは注目に値する。

バベル

バベル


感染力が強く、発症した者の言語野を破壊し、言葉を奪う新型脳炎ウィルス――バベル。物語は〈BEFORE〉(〈あのこと〉と呼ばれるパンデミックの前)と〈AFTER〉の章が交互に重ねられ紡がれていく。

〈BEFORE〉、つまり〈あのこと〉以前では、如月悠希が正体不明の熱病に冒された恋人・渉を病院へ連れて行くところから始まり、やがてそれが新型脳炎ウィルスと判明し、猛烈な勢いで日本国内に広がっていく様子が描かれる。発症せず、それゆえに言語を失っていない段階である感染者(保菌者)の差別。町に広がる感染への恐怖。また感染者が非感染者に感じる「感染させてしまうかも」という不安。そんな中、一人の政治家が提案をする。都市の中央に巨大な城壁を築き、非感染者を囲い込み「棲み分け」をしてはどうか。これは隔離ではない、感染者も非感染者も双方共に幸せである、と。

こうして完成した長城。以後が〈AFTER〉の章である。長城の外に住む悠希。恋人・渉はバベルを発症し、言語を喪失。二人の関係は上手くいかずに、ある日、渉は悠希の前から忽然と姿を消してしまう。悠希は、長城の外の世界で感染者達のネットワークを築いていた。そこに訪ねてくるウィリアムという外国人記者。二人は、反政府組織パンサーが長城を登っているのを目撃し、悠希はパンサーの一人に渉がいたのではないかと、彼の姿を探す。

パンデミックSFといえば小松左京復活の日』が真っ先に連想される。

復活の日 (ハルキ文庫)

復活の日 (ハルキ文庫)


細菌兵器の漏洩が発端のパンデミックを描く『復活の日』は、しかし国際謀略SFとも読める。というのも、人類が直面したグローバルな危機に(作品が書かれた当時であればインターナショナルと形容されるが)、国民国家の枠組みで対峙しても、その全貌をつかむことはできず、ただいたずらに時が過ぎていくだけなのだ。小松は細菌というグローバルな物質に着目することで、冷戦構造にガチガチに囚われた国民国家という概念の限界を露出させた。

ひるがえって福田和代『バベル』。不思議なほどにドメスティックである。海外でのバベルの発症事例は報告されるが、ごく少数で、パンデミックは見事に(?)日本国内で抑えられる。さらに日本国内においても長城の建設に(ひとまずは)成功し、感染者と非感染者の「幸福な」住み分けはできている。数年前にあった新型インフルエンザの流行や、311以後の放射能汚染など、うまくいったかどうかはさておき、日本が現実に対処してきた事例の蓄積が、小説の内部においても反映されていることが、小松=グローバル/福田=ドメスティックの理由のひとつだ。

福田は、しかし、鎖国した日本(さらに長城にこもる非感染者)というドメスティックな領域を経由して、人間のコミュニケーションがもつ普遍性(ユニバーサリズム)を志向している。福田がつきつめる普遍性とはなにか?

表層的な言語の違いを感染症バベルによって強制的に洗い流す。何語を母語としようと、バベルを発症してしまえば、言語は使えなくなる。その上で、人間に可能なコミュニケーションとは何か、人間の生物学的本質を視野に入れて模索する。

作中、悠希たちをかくまう研究者・野村がとうとうと自身の言語観を語るシーンがある。そこで彼は「言語が先か、思考が先か」と問う。言語が思考を決定するサピア=ウォーフの仮説と、言語はなくても思考は可能とするスティーブン・ピンカーの対立を、野村は紹介する。そしてチョムスキー生成文法理論を踏まえたうえで、野村はバベル発症者=言語喪失者にも可能なコミュニケーションがあるのではないか、と大胆な仮説を唱える。

チョムスキー生成文法理論の前提にある、人間には言語的コミュニケーションを行う本能があるという考え方が、先に指摘した普遍性(ユニバーサリズム)にほかならない。福田が探求する人間コミュニケーションの普遍性は、実は『ポストヒューマニティーズ』収録の拙稿「カオスの縁を漂う言語SF」で分析した「二層構造モデル」と通じるものがある。福田和代『バベル』にも、伊藤計劃長谷敏司飛浩隆の言語SFとの共通点を発見できる。(海老原豊



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