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【日本SFサイシン部03】ぎりぎりでディストピアに落ちないために――長谷敏司『My Humanity』(ハヤカワ文庫JA) 

最新の日本SF(出版されて、せいぜい半年以内)の最深部に迫る! 書評コーナー。隔週で月2回更新を目指す!

第3回は長谷敏司『My Humanity』、著者初の短篇集。


My Humanity (ハヤカワ文庫JA)

My Humanity (ハヤカワ文庫JA)


『ポストヒューマニティーズ 伊藤計劃以後のSF』(南雲堂)所収の拙稿「カオスの縁を漂う言語SF――ポストヒューマン/ヒューマニティーズを記述する」で、二層構造言語SFの一例として『あなたのための物語』を取り上げた。


あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

節の末尾には「サマンサが死んだあと、ケイトやデニス、ニューロロジカルがITPをどのように社会へと広め、その結果、どのような社会が到来したのかの記述はまったくない」(96)と記したが、実はITP技術が広がった社会の様子を描いた作品は存在している。


『My Humanity』は4つの短篇からなるが、そのうちの2つ「地には豊穣」「allo, toi, toi」は、『あなたのための物語』の中心ガジェットであるITP言語が出てくる。ここではこの「地には豊穣」を紹介し、ITP技術がもたらす世界のすがたを考えたい。


そもそもITPとは何か? 擬似神経制御言語ITPは人間の脳で起こったことを完全に記述し、その使用者の脳に経験をありのままに再現することができる。経験伝達言語、だ。


「地には豊穣」では、そもそもこのITPを開発したのが英語系の人間のため、初期設定が英語であり、他文化・他言語の人間の脳では、齟齬が起こるとされる。この齟齬を解消するためにアジャスタ(調整するためのソフトウェア)を開発しているのが、主人公のケンゾーなのだ。


ケンゾーはITPの普及により人類はさらなる発展を遂げると信じるが、同僚のアメリカ人ジャックは、ITP帝国主義に強い反発を覚える。ジャックは、その国、その文化、その言語特有の癖を、完全なかたちで残すことを求める。この議論には既視感を覚えるむきもあろう。グローバル言語としての英語をめぐる議論をそのままトレースしたものだからだ。たしかに英語が使えると便利だ。しかしひとたび英語が標準言語になってしまうと、先祖伝来の文化をその特徴を保持したままで伝達することが不可能、あるいは困難になってしまう。グローバルとローカルの戦い。そしてグローバルの勝利は、不可逆的な変化をローカルへともたらす。


この短篇にはひとひねり加えてある。ITPで〈特徴を強調した日本人〉を自らにインストールし、「ケンゾー」は途中から極めて日本人的に考えふるまう「謙三」へと変化を遂げる。読者から見てみればその変貌は唐突であるし、ITPを用いた人為的な改宗であることは明らかだが、本人はこの変身に満足するのだ。文化は強烈だ。特定の民族のふるまいから経験を抽出し言語化するITPは、だから文化を本質主義的なものと前提している。そしてソフトウェアさえインストールしてしまえば、人間主体の意志など関係なく、その文化を代表できる。伊藤計劃『ハーモニー』のあの衝撃的なラストに通じるものが、ITPの先にはある。


しかし。『あなたのための物語』同様に、長谷敏司伊藤計劃と異なっている。『ハーモニー』が調和のユートピアディストピアで幕を閉じた一方で、長谷敏司は、ディストピアに落ちないギリギリの境界線上を歩もうとするのだ。「地には豊穣」のラストシーンは、グレッグ・イーガン「しあわせの理由」のマークが感じたすがすがしさを連想させる。〈伊藤計劃以後〉とは、日本でのイーガン受容が進んだ結果、生まれてきた作品群ともいえる。(海老原豊



限界研の飯田一史が登壇するSF創作セミナーに長谷敏司さんが登場します。

日時 2014年04月27日(9:30-11:30 (開場:9:20) ※最大延長12:00)
開催場所 中小企業振興公社 秋葉原庁舎 3階 第4会議室
(東京都千代田区神田佐久間町1-9)

参加費 2,000円(税込)
定員 30人(先着順)
申し込み開始 2014年04月08日 15時00分から
申し込み終了 2014年04月26日 18時00分まで
主催 ノベル創作塾

詳細は公式ウェブサイトをご覧ください。

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「伊藤計劃以後」記事まとめ
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SF創作セミナーに飯田一史が登場 →→「2014年の今、SFを書きはじめるために――“今ないもの”を書く」