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『プレどこ』の拙論を自分で改めて読み直しての感想【宮本道人】

こんにちは、限界研の宮本道人です。
『プレイヤーはどこへ行くのか』、もう皆さまお手に取って頂けましたでしょうか?
僕は今回の論集では編著者として関わらせて頂いております。今は無事にぼちぼち感想を頂けるところまで辿り着けてほっとしているところです。
さて、今日のブログでは、『プレどこ』の拙論を自分で改めて読み直しての感想を書いてみようと思います。書き残した部分はあるか、今後の発展の可能性にはどういうものがあるかなど、つらつらと思いついたままに書いていきますので、『プレどこ』をまだ読んでいない方も既に読んだという方も、ぜひ読んで頂ければ幸いです。


「リアリティ・ミルフィーユに遍在するVTuberたち 複数キャラクター同時プレイ論」は、複数キャラクターを同時にプレイする遊び方についての論考です。
Vtuberとしてゲーム実況をする中の人は、VTuberアバターを演じると同時に、ゲームのキャラクターもプレイしています。このようなマルチタスクな遊び方の特徴を分析したのが本論です。

いま読みかえすと、「あれにも触れておくべきだったかな」という題材を今更色々思いついてしまいます。入来篤史先生等によるニホンザルデジタルゲームをさせる実験は、ボディ・スキーマ研究の一例として挙げておけば良かったかもしれません。VTuberの届木ウカさん等が行っているVR演劇は、VRと演劇を接続するものとして考察しておいても良かったかもしれません。オンラインクレーンゲームアプリの「トレバ」は、現実と仮想空間が入れ子になっている話として書けば良かったかもしれません。また何か機会があったら、それらについて書いたものもどこかに出せたらなと思っています。


本論に興味を持たれた方は、ぜひ限界研の前々著『ビジュアル・コミュニケーション』も読んで頂けたらと思います。例えば藤井義允さんの論考ではVTuberの原型に成り得る「生アニメ」が考察されていたり、飯田一史さんの論考ではゲーム実況が紹介されていたり、本論と関係する部分も多いかと思います。

ビジュアル・コミュニケーション――動画時代の文化批評

ビジュアル・コミュニケーション――動画時代の文化批評


さて、もう一つの論考「叙事的ゲームのインターフェース そのボタンは有機的タイムマシンを起動する」についても書いておきます。この論は、昨今のゲーム文化において「没入感」や「自由度」ばかりが評価されることに対してのアンチテーゼとして書いたという側面が大きいです。
本論は、「リアリティ・ミルフィーユに遍在するVTuberたち」と対になるように書いていたり、「おわりに ゲームと批評」とセットで読めるように書いていたりという隠れた意図もあったりします。「リアリティ・ミルフィーユに遍在するVTuberたち」では没入が論じられているのに対して、こちらは没入させないことを論じていて、「おわりに ゲームと批評」ではゲームの意図を超える客観的なプレイの批評性について論じたのに対して、こちらはゲームが作り出す客観的なプレイの批評性を論じています。
この論考もいま読みかえすとやはり「あれにも触れておくべきだったかな」という気持ちが色々あります。「モラル正当化効果」「一貫性バイアス」等の心理学的な研究には、ゲームがどうプレイヤーに影響するか論じる上で援用しておけば良かったかもしれません。ゲームの教育的側面に関する研究(マーク・プレンスキー『TVゲーム教育論』など)も紹介しておけば良かったかもしれません。


Jerry Chu氏による「【Jerry Chu】コントローラは無色透明であるべきか」(https://www.4gamer.net/games/374/G037446/20171201184/)という4Gamer.netの記事も紹介しておきたかったです。この記事はむかし読んだ記憶があるのですが、このブログを書き始めるまで忘却の彼方にありました。「書き残したことはないかな」と古いブックマークをチェックしていて記事を再発見したのですが、読んでみて、これはもしかしたら無意識のうちに僕の論考に一部影響を与えていたのかもしれないと思いました。具体的には「零度のコントローラー」のところなど特に影響を受けているように思えます。もう一つの拙論「リアリティ・ミルフィーユに遍在するVTuberたち」の左右の手で別の操作をする話にも影響があったのだろうと自分で推測しています。この記事をはじめ、Jerry Chu氏による連載は素晴らしい記事ばかりなので、なにか別の機会にうまく拙論と接続して紹介できたらなと考えています。


「おわりに ゲームと批評」についても書いておきます。
この論は、ゲームと批評の関係性が近年変化していることを記述したものです。
ただ、特に昨年は日本のゲーム批評シーンで大きな変化があった年だと思うのですが、原稿を共著者間で共有して互いに意見を言って修正して、というのを何度か繰り返し、それから出版社に提出してゲラで直して、という形式で原稿を書いていったために、草稿を書いた時から出版されるまでにはそれなりのタイムラグがありました。
この間に刊行された書籍(例えば『ユリイカ2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber』、ジェレミー・ベイレンソン『VRは脳をどう変えるか? 仮想現実の心理学』、松永伸司『ビデオ ゲームの美学』など)をふまえた上で論考を執筆することができなかったことは残念に思っています。
また、ゲーム周辺文化のクリエイションについて触れ損ねたのも後悔ポイントです。
東京藝術大学のゲーム展や、赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』などのゲームSFの批評性にも言及しておけば、もっと論に広がりが出たかもしれません。


以上述べてきたように、ヴァージョンアップしたい部分は色々とあります。
ゲームが非常に大きなテーマであるために、系譜を論じるには知識も足りず、甘い記述も多かったかもしれません。
それでも、自分なりにゲーム文化の面白い部分を紹介したいと思って精一杯作った本ですので、ぜひ面白がって頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。