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「「距離」と「親密さ」 ―濱口竜介監督旧作上映に寄せて―」

「距離」と「親密さ」 ―濱口竜介監督旧作上映に寄せて― 冨塚亮平


本稿では、『ビジュアル・コミュニケーション』に寄稿させていただいた拙論「世界は情報ではない 濱口竜介試論」の内容と、濱口作品の上映情報について簡単に紹介します。


第六十八回ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞、脚本賞スペシャルメンションを受賞し話題となっている濱口竜介監督の最新作『ハッピーアワー』の日本公開がいよいよ間近に迫って来ています。ロカルノ映画祭での受賞がYahooニュースやテレビでも取り上げられたことで、最近になって濱口監督の名前を新しく知り、興味を持った方も多いのではないでしょうか。濱口監督はこれまでに九本の長編、数本の中短篇作品を監督しており、『ビジュアル・コミュニケーション』に寄せた拙論では、長編『親密さ』、『PASSION』、『THE DEPTHS』などを中心に、多くの過去作について論じています。

もちろん、作品を観ていない方にもある程度内容が掴めるよう心掛けはしましたが、細部の描写に触れている、いわゆるネタバレ的な部分も含まれるため、可能であれば過去作を観た後で読んでいただきたい、そういった構成の論考となっています。しかし、実は濱口監督の作品で現在のところソフト化されている作品は『PASSION』のみであり、映画配信サイトLOAD SHOWにてダウンロード購入可能な中篇『何食わぬ顔(short ver.)』と『不気味なものの肌に触れる』をあわせても、まだまだ鑑賞の機会は限られていると言えます。

DVD 東京藝術大学大学院映像研究科第二期生修了制作作品集2008 (<DVD>)

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そんな中、『ハッピーアワー』の全国公開を控え、今月から来月にかけて全国で未ソフト化作品を含む濱口監督の旧作上映が行われます。

まず、11月14日(土)と11月19日(木)には、論集に寄稿いただいた佐々木友輔氏の企画で、武蔵野美術大学美術館ホールにて、それぞれ『親密さ』、『不気味なものの肌に触れる』が上映されます。また、19日には論集の責任編集を担当された渡邊大輔氏と濱口監督のディスカッションが予定されています。


⬛︎第43回イメージライブラリー映像講座「映画⇆世界のサーキュレーション」


また、同じく14日より11月30日(月)までの三週間にわたり、新作『ハッピーアワー』の舞台となった神戸では、「濱口竜介の軌跡 東京=東北=神戸」と題した大規模な特集が行われます。


⬛︎「濱口竜介の軌跡 東京=東北=神戸」


17日(火)には関西大学千里山キャンパスにて『不気味なものの肌に触れる』の上映と、濱口監督による講演会「見えないものを撮る?」が開催されます。


⬛︎関西大学文学部学術講演会 濱口竜介(映画監督)見えないものを撮る?


さらに、来月12月5日には、新潟大学中央図書館ライブラリーホールにて、「平行線をたどる言葉と心 映画監督 濱口竜介」と題した『永遠に君を愛す』、『親密さ』の上映会が行われます。


⬛︎平行線をたどる言葉と心 映画監督 濱口竜介


そもそも門外漢である私が今回映画論を寄稿しようと考えたのは、『親密さ』をはじめて観た時に受けた衝撃を何とか言葉にしなければならない、と感じたからです。すでに終了したものも含め、各地で自主的に行われている濱口作品の上映会もまた、いずれも作品に触れた企画者の方々の熱意が契機となって開催にこぎつけたものだと思います。これらの機会に旧作をご覧いただき、その後論考にも目を通していただけると嬉しく思います。


続いて、論考の内容について紹介します。

まず私は、「世界って、情報じゃないでしょ?」という『親密さ』第二部に登場する台詞に着目するところから論を立ち上げています。フィルム時代の終焉に伴い、世界(映画)はもはやデータの束にすぎないとする、レフ・マノヴィッチらの情報一元論が影響力を増している状況を取り上げつつ、そういった発想に対するオルタナティブとして、スタンリー・カヴェルの映画論に注目しました。

メディウムの物理的基盤からは区別される、諸々の映画技法に意義を与える再解釈・発展をカヴェルは「メディウムの創造」と呼んで評価しています。この概念は、フィルムというメディウムの固有性が失われつつあるデジタル映画時代の到来とともに、近年再評価が進んでいるものです。

本論では、単に反時代的な上品さを保つのでもなく、かといって近年の潮流を無批判に取り入れるわけでもない、形式と内容が高度に拮抗した濱口作品の魅力を、カヴェルの言う「メディウムの創造」の試みとして捉える事で、「世界は情報じゃない」という一見反時代的な言葉が、いかにして説得力を伴ってわれわれ観客に届けられるのかを明らかにすることを目指しました。

具体的には、まず濱口作品にしばしば登場する対話場面の独特な撮影方法が持つ意義について、小津安二郎作品との比較を絡めて考察しました。そして、そこから抽出した「距離」の主題を通奏低音として、ジャンル映画としての魅力、性関係描写の特徴、他の芸術ジャンルとの異種混交性、作品の複雑な入れ子構造などについて論じました。さらに、以上の形式性を巡る議論を前提として、最後に改めて登場人物の感情や言葉のレベルに着目し、結論を導いています。全体を通じて、小津作品と並んで、濱口監督自身が敬愛するジョン・カサヴェテス作品を複数取り上げて論じています。

濱口作品は以前から多くの注目を集めてきましたが、全国公開作品がなかったこともあってか、これまで監督に関して長尺の作家論が書かれることはありませんでした。それでも、各作品についての短い論考はWeb上に発表されたものも含めすでに数多く存在します。拙論では可能な限り多くの論考に目を通した上で、引用、参照したものについては全て注釈にて出典を明示しましたので、これまでに発表された作品論をサーヴェイする上でもある程度は参考になると思います。


ここからはやや余談めきますが、スタンリー・カヴェルについて少し捕捉しておきたいと思います。カヴェルの映画論は、近年アメリカやフランスではドゥルーズのそれに匹敵するほどに注目を集めており、何人かの現役監督にも一定の影響を与えていると言われます。中でも有名なのはハーバード時代の教え子であるテレンス・マリックと、しばしばカヴェルの影響を公言しているアルノー・デプレシャンです。

『PASSION』公開時に筒井武文監督らがデプレシャンを引き合いに出していたことを想起するならば、カヴェルの議論と濱口作品の親近性もある程度は納得できるものとなるのではないでしょうか。また、著名なカサヴェテス研究者で邦訳書もあるレイモンド・カーニーや、カヴェルとの相互影響のもとで美術批評を行ったマイケル・フリードなど、拙論で言及した複数の著者が実際にカヴェルの指導を受けた経験を持っています。

主著『眼に映る世界』を除き映画論の翻訳が進んでいないため、日本ではまだまだ知名度の低いカヴェルですが、今後言及される機会も増えて行くと思います。現在日本語で読める『眼に映る世界』以外のカヴェルによる映画論としては、『クリスマス・ストーリー』公開時のデプレシャンとの対談「映画はなぜ重要なのか?」(須藤健太郎訳、nobody 34 pp. 26-35.) に加え、『眼に映る世界』の翻訳者である石原陽一郎氏が訳出したいくつかの論文をWeb上で読むことが出来ます(http://d.hatena.ne.jp/criticon/)また、カヴェルの映画論に関する研究としては、拙論でも紹介した木原圭翔氏の論文が示唆に富んでいます。

nobody 34

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『ハッピーアワー』は、今月の広島国際映画祭でのジャパンプレミア上映を皮切りに、その後年末年始にかけて全国で順次公開となります。こちらも是非お見逃しなく。