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にょんもりとした読後感――古市憲寿『僕たちの前途』(講談社)【評者:海老原豊】

僕たちの前途

僕たちの前途

若手社会学者の古市憲寿の最新刊は起業(家)について。といっても、起業ときいてまっさきに連想されるような「若者のこれからは起業にある!」などという凡百の起業ハウツー本とはことなり(あたりまえか)、日本において起業家精神が煽られる一方で現実の起業がいかに困難である現実を、その背景にある構造(あと数字)とセットであぶりだしている。


アントレプレナーには優しくないのにアントレプレナーシップだけ煽られるのが現代の日本社会なのである」と古市がいう根拠には、なんだかんだ今でも影響力のある「雇われる」という働き方と、起業とフリーターの精神性が外面的にはどうしても似てしまうことがある。年功序列賃金や終身雇用は確かにかつてほどの磐石さはないかもしれないが、それなりにカッチリとしているし、若者の就職難および離職率の高さが問題となっているが、大学進学率の上昇と中小企業の不人気、あとはブラック(的)企業の台頭が原因だ(じじつ優良企業の離職率はきわめて低く、3年単位でみればゼロのところもある)。いまだ、大多数の(男性)正社員にとっては、会社とは「国家」のようなもので、全人生的な高い貢献度を要求されるいっぽうで仲間から福祉までなんでも与えてくれる大きな存在なのだ。だから、そこから抜けるというのはかなりリスキーだ。抜けるにしても、一度、大きな会社に入り「肩書き」を得てから抜けるほうが現実的だと古市はいう。


もう一つの大きな要素は、はやし立てられる起業家精神アントレプレナーシップ)とフリーターの眼前の夢(「いつまでもこの仕事をやっているわけにはいかない」というぼんやりとした現在の否定として表出する未来像)は外面的に似ていること。メリトクラシー能力主義)の壊れた社会で、かつてであれば学歴レースから外れてしまったものが容易にやっていた「あきらめる」ことが、そう容易ではなくなってきている。「あきらめる」というカテゴリーの人が、「あきらめきれない人」と「あきらめてしまった人(コンサマトリー)」にさらに二分化しているのだ。「あきらめきれない人」は、アントレプレナーシップ(夢)が、「ここではないどこか」の存在を強く刺激され、いつまでたってもあきらめきれない。かといって夢を実現するために何をどうがんばったらいいのかわからず、前にも後ろにもすすめずただ年を重ねていく。古市が冒頭の三章でルポルタージュ風に描出してみせた、友達の起業家たちは「非資格型専門職」とカテゴライズされ、医者や弁護士といった国家資格を必要とする専門職ではないが、それなりの背景をもっていないと手にすることが難しい職業とされる。何が必要かといえば、トランポリンという比喩で語られる資本。たんに経済資本だけではなく、文化資本(生育環境、教育)、人間関係資本(つながり、人脈、属人的な要素)の複合物だ。そう、この本に出てくる若い起業家たちは(古市も含めてだが)、端的にいって「育ちがよい」「人脈が広い」「頭が良い」のだ。


苅谷剛彦の議論を紹介しつつ、古市は学力下位層には努力をすることからの撤退がおこっていると指摘する。努力の大切さを説くとき、学力上位層はそれを理解しても、学力下位層は、レースから降りることでむしろ自尊心を高め、今を楽しむことを選ぶ。「夢を追いかけよう!」という(俗の)アントレプレナーシップは、この学力下位層にむしろ響く。統計的には、学力上位層、つまりさまざまな資本(経済+文化+人間関係)をもっている層のほうから多く起業家になりやすいというデータがあっても。古市が落ち着く先は、起業は手段であって目的ではないという、(考えてみれば)ごく当たり前のものだが、「もっと起業せよ!」「若者が元気を出せ!」という世の中的圧力を中和することになる。


…という主張はよくわかるのだが、わたしの読後第一声は「やっぱ勉強って大事だよね…」「やっぱ大学で友だちたくさんつくっておくと、その後に役に立つよね」「なかまをだいじに!」という、にょんもりとしたものだった。マジメな努力は世間・学校でさかんに説かれるが、それが届かない人たちがいる。もちろん、全員に届くなんて思っていないし、他人の人生だから成功しようが失敗しようがどうでもよいという気持ちはあるにはあるが、他方で若手起業家を「食い物にする」人たちもいるなんて話もちらっと聞いたので、それはそれでなんだかなあ、と思った。昔と同じような言葉遣いでは、届けたい人に届けるべきものが届かない。そういう戦略を練っていくうえでは、古市の作戦は悪くはない。あとやっぱり、今回も註はむっちゃ面白い。古市が小熊英二の本の重さを測っていたのは、堀井憲一郎本格ミステリの文字数を数えていたのとダブった。わたしもこの手の芸を身につければ、テレビとか出れるのか。