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佐々木敦×藤田直哉トークイベント「虚構内存在の存在論」@東京堂書店(2014年10月17日) その3/4


佐々木敦『あなたは今、この文章を読んでいる。』が生まれた文化状況を振り返る中で、藤田直哉「前衛のゾンビたち」の重要性が見えてくる。


すばる2014年10月号

すばる2014年10月号


藤田がまず「前衛のゾンビたち」で話題にした芸術・地域アートについて簡単に説明。コミットメントする芸術であり、参加者はみな屈託なく、共同作業を体験する。作る人、見る人の関係が非物質的なコミュニケーションに溶け込む。これはオタクが不況や311という現実を突きつけられて、メタフィクション的な世界に生きられなくなったから、というのも関係しているのではないか、と藤田は言う。それまでモノにあった作品の主体が、コミュニケーションの中へと移動したのだ。


それに対し佐々木は、ゼロ年代以降のキータームとしてコミュニケーションとコミットメントの2つをあげた。若い人を動員するSNSを連想すればよい。『未知との遭遇』で、ポストセカイ系として「シャカイ系」という呼称を提案したが、それがコミュニケーションとコミットメントである。


未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ

未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ


東浩紀が「コンテンツ志向」から「コミュニケーション志向」への転換が起こっているといったのを踏まえ、藤田は今ではコミュニケーションの「ネタ」としてのコンテンツすら必要とされなくなりつつあるのではないかと、自身が見た地下アイドル界隈のコミュニケーションの感想を述べた。その延長線上に地域アートもあるのではないか、と。


しかし、佐々木はコミュニケーション消費の対象を芸術・文化と呼べるのかと、「前衛のゾンビたち」が提示した問題に突っ込みを入れた。国からの金(補助金)が地域アートに流れていくなかで、コミュニケーション/コミットメントのあり方を芸術とともにアップデートしていかないといけないのではないだろうか。


最後には佐々木は「読むことの現在形」を強調。ゼロ年代後半、演劇をよく見るようになったが、演劇はつねに現在形の表現形式である。観客の目の前で芝居が起こっている。ひるがえって小説もまた、そのような要素もあるのではないか? インターネットは確かに時間・空間を無効化したが、その反面、その場に行かないと駄目なこと、つまり体験の価値が上昇してきた。これは作者の権能とも確実に関係している。本は再読しないけれど、CD(音楽)は何度も聞く。この疑問は、言い換えれば音楽は体験するのに小説(本)は体験するとは考えにくいのか、となる。自分は批評家と名乗っているが、一番近いのは「読者」のように思う、と佐々木はまとめた。


この後、質疑応答が続く。(3/4)(海老原豊

佐々木敦×藤田直哉トークイベント「虚構内存在の存在論」@東京堂書店(2014年10月17日) その2/4
佐々木敦×藤田直哉トークイベント「虚構内存在の存在論」@東京堂書店(2014年10月17日) その1/4