限界研blog

限界研の活動や記事を掲載します。

佐々木敦×藤田直哉トークイベント「虚構内存在の存在論」@東京堂書店(2014年10月17日) その1/4


佐々木敦が『SFマガジン』で連載していた「パラフィクション論序説」をまとめた『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版)が出版された。メタフィクション、そしてパラフィクションとフィクション論を展開する佐々木敦に、『虚構内存在』の藤田直哉が問いかける。そんなトークイベントが2014年10月17日、神保町の東京堂書店イベントスペースで行われた。


虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉

虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉



裁判所に模された会場。「検察官」「裁判官」「弁護士」という札が立てられている。暗転のなか、佐々木敦藤田直哉が登場。虚構内存在を被告人にすえた裁判が始まる…かと思いきや、わりとあっさりと普通のトークイベントが始まった。


佐々木と藤田が、自己紹介しつつ二人の関係を説明。藤田が、ちょうど『虚構内存在』を執筆しているときに、『SFマガジン』では佐々木が筒井康隆虚人たち』や筒井の概念「虚構内存在」に言及しておりショックを受けたことを明らかにした。


最初は藤田が佐々木の著作を要約し、疑問点を述べた。


「これは本当ではない」といえばいうほどその「私」が超越化するというメタフィクションの構造を最初に分析、その後は円城塔伊藤計劃藤野可織「爪と目」を検証し、メタフィクションを超えるものとしてのパラフィクションの提示がなされる。この佐々木の論の運びに、藤田は(1)昔はやった構築主義とどう違うのか?(2)読書行為論、読むごとに作品が作られていくこととどう違うのか? と疑問点を提示した。藤田の感触としては、昔は理論先行でいわば頭でっかちのメタフィクションが多かったが、現代は脳科学の大衆化、パソコン/ネット環境の普遍化によって、理屈ではなく実体験として人々がメタフィクションを理解しているのでは、というものだった。



それに対して佐々木はこう応答した。メタフィクションとは自意識的なフィクションであり、精緻なものであればあるほど、結局、そのフィクションを組み立てた作者が偉くなってしまう。このメタフィクションの問題点を解決するのが、パラフィクション。作者に対して読者という存在が出てきて、書くことから読むことへの重心移動が可能になる。


ただし、注意点として、作者の手から読者が作品を取り戻す、という単純な図式ではない。読者はどのように読んでも良いというわけではない。どんな風に読んでもよいとなると、やっぱり作者の権能に作品が回収されてしまう。作者の権能を避ける作戦として、読者の存在にスポットライトをあてた。佐々木はメタからパラへという単純な図式に誤解して欲しくないと、つけくわえた。(1/4)

海老原豊