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限界研、新刊『ポストヒューマニティーズ』よみどころ紹介(10/10) 小森健太朗「虚構内キャラクターの死と存在――復岐する無数の可能世界でいかに死を与えるか」

ついに発売になった、限界研、最新評論集『ポストヒューマニティーズ』。

ポストヒューマニティーズ――伊藤計劃以後のSF

ポストヒューマニティーズ――伊藤計劃以後のSF

今回で最後となる『ポストヒューマニティーズ』よみどころ紹介。ラストを飾るのはミステリ作家・評論家にして、最新アニメ評論集『神、さもなくば残念』(作品社)を上梓したばかりの小森健太朗





本論文はいくつかの野心的な思索からなる。

まず検討されるのが、キャラクターは「存在者」なのか、それとも「この私」に並ぶ「存在」なのか? 

この存在者/存在の区分は、ハイデガーの『存在と時間』の哲学、あるいはそこから派生した筒井康隆の概念「虚構内存在」と、さらに精緻化した藤田直哉の著作『虚構内存在』をふまえている。

小森によれば、虚構内のキャラクターたちの死(や生存)が、現実の「この私」(たち)にとって、どのように迫ってくるのかがキャラクターが存在者から存在へとなる鍵だ。




次に小森は、手塚治虫以降のマンガ、アニメのキャラクターたちの死の系譜をたどる。重要なのは、作品内部で描かれたキャラクターの生死だけではなく、作品の外部に広がる広大な二次創作という領域、あるいは同じ作品でも、テレビ版/劇場版などの版の違いも視野に入っていることだ。





つまり作品内部で描かれているキャラクターの生死は、もちろんこの私たちの生死と異なりうるが、それだけではなく、作品そのものがすでに複数の世界・複数の時間軸へと分裂してしまっている。




ここで小森はキャラクターが生きる複数の時間軸を、美少女ゲームを結びつける。「萌えの現象学」(『神、さもなくば残念』収録)で、展開した「準‐時間」という概念が、ここに再登場する。



サザエさん的な無時間は「超時間」。
手塚治虫的なリアルな時間経過は私たちが考える意味での「時間」。
小森のいう「準−時間」はこの両者のちょうど中間にある。



この「準‐時間」軸に生きる虚構内のキャラクターに、いかにして死を与えることができるのか。そして、いかにして死を与えるとともに、顧慮されるべき「存在」へとかえることができるのか。




最後に小森はロシアの思想家、ピョートル・ウスペンスキーが起源である「世界線」という概念を紹介する。これはゲーム『Steins; Gate』(のちにアニメ化)にも登場しているし、ゲーム『Ever 17』にも強い影響が見られる。これらの作品を分析しつつ、ウスペンスキー理論を紹介する小森は、アニメ『魔法少女まどかマギカ』のラストをウスペンスキーの多次元宇宙論とからめて、論じている。

STEINS;GATE - PS3

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Ever17 -the out of infinity-(限定版) Premium Edition - PSP

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キャラクターの存在、生死、時間(軸)、世界、次元。私たちのものとは異なりながら、何か共通するものをもっているのではないかと(ある意味で、勝手に)推量してしまうこれらの概念を、小森はフッサールハイデガーウスペンスキーといった思想・哲学を参照しつつ、解きほぐしていく。



BookNews連動企画「SF・評論入門」もあわせてご覧ください。評論入門の5回目(連載は6回目)は海老原豊による、言語SF入門です。


6回目「SF・評論入門5 はじめての言語SF ――ガツンと一発、言語をキめてみよう! 海老原豊



5回目「なぜ宇宙でも未来でも異世界でも超能力でもなくポストヒューマンなのか?『ポストヒューマニティーズ 伊藤計劃以後のSF』について 飯田一史


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