限界研blog

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Jコレ読破8 田中啓文『忘却の船に流れは光』

そこは零落した科学技術と合理精神が宗教に代替された世界。世界の縁は〈壁〉で厳重に覆われ階層化されている。住人は、神〈主(スサノオ)〉の命令を果たすべく身体を改造されたミュータント達だ。支配階級〈聖職者(すさのおいや)〉はペニスをもたず、〈耕作者(はたらきもの)〉には労働に特化した六本の腕が与えられ、生殖を担う〈雌雄者(いざなぎ・いざなみ)〉は人間の形をなしていない。語り手・ブルーは〈聖職者〉でありながら、絶滅したはずの身分〈修学者(がりべん)〉ヘーゲルと出会い、支配体制〈殿堂〉への懐疑を抱き始める。迷いからから罰として世界の下層へ落とされるが、そこでの体験から、唯一の正典〈経典〉には描かれていない世界の成り立ちを知ろうと行動を開始する。


こうしてSF設定だけを抽出してみれば、『宇宙の孤児』のロバート・A・ハインラインから「祈りの海」のグレッグ・イーガンまで続くSF史に埋め込める上質なピースの一つに思えるが、本作にはなじみの枠に収まりきらない恐ろしさ=可能性が宿っている。本書を貫くおびただしい量のエロ・グロ・ナンセンス描写が、それだ。性的なもの、残酷・下品なもの、そして意味のないダジャレに物語は完全に侵されて/犯されている。田中啓文の作品の例にもれず、本作は、言語に並々ならぬ(フェティッシュといってよい)偏愛をしめす。ともすればそれはSFに関係のないものと切り捨てられるかもしれない。しかし、私たちはじっくりと手にとって考えてみるべきだろう。古今東西、「言語SF」とよばれるSFが、言語こそSFの本質として思索の対象に選んできた歴史を。だから本作も、物語が「閉じる」瞬間に、エロ・グロ・ナンセンスの言葉の堆積物は、見事にセンス・オブ・ワンダーへと昇華する。科学が宗教に変容した理由を求める合理精神が到着した歴史の真実は、このうえなく非合理なものだ。



センスとナンセンスが融合・爆発した瞬間に〈エロ・グロ・(ナン)センス(オブ・ワンダー)〉が生じたのだ。ビッグバンといってもよいかもしれない。それくらいのインパクトはある。