限界研blog

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フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

これまでのあらすじ☆


第15回 文学フリマに出店します!!
http://bunfree.net/


日時 11月18日(日) 11:00〜17:00
場所 東京流通センター
ブース 限界研 (エ-32)


新刊『genkai vol.2』は『渡邉大輔評論集』と『海老原豊評論集』の2本立て。『海老原豊評論集』には、古典SF作家――フィリップ・K・ディックジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、アーシュラ・K・ルグィン――を論じた評論が収録されている。例えば、ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか』――いわゆる普通のレビューであれば、次のようなものだが…。『評論集』には、3・11以後、問題となったメディアと共感を視野に入れて、再解釈している。


フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?


カッコ付きの〈世界最終対戦〉の結果、放射性降下物が降る街。それまで自明であったいくつもの境界線が揺らぐ。人間の管理下から離れたアンドロイドを殺すことで賞金を稼ぐデッカードは、電気羊ではなく本物の動物をいつか所有したいと願う。放射能の影響で「うすのろ」と呼ばれる特殊者イシドアは、郊外の安アパートで、共感ボックスの取手を握り締める。そのブラウン管の向こうでは、キリストもどきの救世主マーサーが石を投げつけられながら受難の道を歩いていて、その姿に自らを同一化することができるのだ。外見上、人間とほとんど見分けのつかないアンドロイドたちは、人間のような感情移入ができないとされているが、デッカードはいつしか自分がアンドロイドに感情移入をし始めていることに気がつき、愕然とする。


アンドロイドも電気羊も「本物」ではない。では、「本物」とは何か。パラノイア的に本物/偽物の境界にこだわったディックは、ハードボイルド的な意匠を小説にちりばめ、難解な哲学的思弁の陥穽を避けつつ、極めて現代的な問題へと迫っている。