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飯田一史『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』 連日掲載クロスレビュー【評:渡邉大輔】

飯田一史『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』

評者:渡邉大輔


 SF、ミステリ、音楽など幅広いジャンルで活躍する気鋭のライター・評論家の飯田一史のデビュー著作となる『ベストセラー・ライトノベルのしくみ キャラクター小説の競争戦略』(青土社)は、これも著者の多面的な仕事の重要な一端を担う「ライトノベル」と「ビジネス」という、一見対照的な分野を掛け合わせた意欲的な評論書である。本書は、これまでの文芸評論・サブカルチャー評論にはまったくといってよいほど存在しなかった、経営学マーケティング的な観点に(あえて)足場を置いて、現在一〇代の男子中高生のあいだで圧倒的な人気を誇り停滞する日本の出版事業のなかで飛躍的な進展を見せているライトノベル(キャラクター小説)の本質を、作品分析や市場環境分析、比較メディア論など多様なアプローチを駆使しつつ、その「売れる」仕組みを読み解いた、これじたいがきわめて戦略的・批評的な「文学論」となっている。

 そもそも評論家としての著者のこれまでの多面的な仕事を貫く大きな問題意識のひとつは、とりわけ「ゼロ年代」以降、よくも悪くもある種「ドメスティック化」した批評や創作の現状に対する批判にあると思われる。かたや一定の文化系クラスタの内部でのみ流通する思想ジャーゴンと、かたや身の丈にあった「ぼくらのリアリティ」に訴えかけるだけの、昨今の「ゼロ年代サブカル批評」のある種の閉塞性に対して、本書は、オープンな市場で勝ち抜いた「商品」としてのライトノベルの価値のみを、徹底してプラグマティックかつ機能的な手つきで分析してみせることにより、現在の文芸評論やサブカル批評の言説空間にまったく新しい批評機軸をもたらしたといえる(むろん、著者にとってそれは本意の狙いではないだろうが)。

 しかも、にもかかわらず本書の内容は、これまでの現代日本の批評史の流れからまったく遊離した議論でもない。たとえば、大塚英志の一連の創作論や東浩紀のよく知られる「データベース消費論」など重要な先行言説への目配せと差異づけは本書でも明示的になされる一方、著者が現在のベストセラー・ライトノベルの条件として掲げる「ネタになる」や「刺さる」といった一見するとジャンル固有の属性から析出されたと思える用語系も、たとえば、「ネタ的コミュニケーション」や「感情資本」といった社会学・思想系の文脈でしばしば用いられるタームともパラレルな、より広い射程を伴ったものと解釈することができる。読者は、それぞれの関心の度合いや領域に応じて、さまざまな角度や切り口で入っていける「間口の広さ」と「わかりやすさ」も、本書の大きな魅力のひとつだろう。

 何にせよ、本書が打ち出すような「いかに売るか(見せるか)」という顧客(観客)視点からの創作論(コンテンツ/市場分析)のヴィジョンは、単にライトノベル(文芸)の世界のみならず、いまやいろいろな方面で必要とされるようになっていると思われる。例えば、日本のインディーズ映画の世界がその一つだ。私の見る限り、現在の日本映画のインディーズシーンに最も欠落しているのは、こうした「いかに作ったコンテンツを見せていくか(売っていくか)」に関する戦略的な視点である。韓国のように国によって援助されていないにもかかわらず、映画製作の専門学校化でどんどん視野が狭窄になっている映画製作業界ではいまだに悪しきシネフィル純潔精神が蔓延り、単に「作りたい映画を作っていればいい」というような気分が充満している。しかも、それで一方で「映画が撮れない(見せられない)」と愚痴を零しているのだから事態は深刻である。そうした素朴でナイーヴな創作信仰を破砕し、今日のシビアな環境の中で、いかに機能的にレヴェルの高いコンテンツを放っていくかを考えるためにも、本書のような視点はますます有益になっていくと思われる。



渡邉大輔(わたなべだいすけ)
1982年生まれ。映画史研究者・批評家。2005年に「波状言論」でデビュー。以降、『ユリイカ』『群像』『メフィスト』などで純文学、本格ミステリライトノベル、映画などを横断的に批評。共著に『本格ミステリ08』(「自生する知と自壊する謎 森博嗣論」)、『日本映画史叢書15 日本映画の誕生』など。
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