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「神への崇敬でも、同胞愛でもない、新しい言葉――<人間ではないもの>との共存に向けて」長谷敏司×藤田直哉

BEATLESS』(角川書店)、『虚構内存在』(作品社)刊行記念


「神への崇敬でも、同胞愛でもない、新しい言葉――<人間ではないもの>との共存に向けて」


長谷敏司×藤田直哉 トークイベントレポート

先日、2013年4月30日(火)に池袋ジュンク堂にて、SF作家の長谷敏司と限界研の藤田直哉トークセッションを行った。その一部を今回、本ブログにてご紹介。

●イベント開催理由



今回のイベントは二人の著作の刊行によって行われたが、そもそも『BEATLESS』と『虚構内存在』に書かれていた虚構の存在、キャラクターについての考えが非常に似通っているため、本イベントを通して、その交点を探っていきたいという意図によってだった。



人間性の撤退


イベント序盤では、人間の知性を越えた高度な技術が出てきた際のことを二人で議論。『BEATLESS』は小説=フィクションとしてそのような現実を描いているが、実際の現実でもテクノロジーが人間を越えるということが起きはじめている。そんな機械が人間の代わりになんでもしてしまう中の<人間性>の撤退について話していった。


BEATLESS

BEATLESS

●虚構内存在との共存


そして現在はモノが氾濫している中で人間は意外と簡単にそのモノを受け入れてしまい、また感情移入をしてしまうという話に。私たち人間(特に日本人)はカタチに対して簡単に心を動かされてしまう。その一例としてキャラクター文化などを例に挙げて議論は展開した。キャラクターと人間の境界が曖昧になった現在の問題をどのように対処するか、という問題について『虚構内存在』で書かれている内容を踏まえた上で二人の意見が述べられていった。

虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉

虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉


●<人間ではないもの>との共存に向けて


また、議論は機械と人間の共存が進んで行く現実の中での政治の問題や、生や死の問題、人間の居場所の問題などに進む。そこでは自分自身の考え方は勿論、そんな現実の中でSFというジャンルができることということについても二人の意見が述べられた。


トーク後には質疑応答もあり、およそ1時間30分に及ぶ白熱したものとなった。

イベント後にはサイン会も行われた。また、今回のイベントはキャンセル待ちも多く出たらしく、非常に大盛況のまま終了した。



機械やキャラクターといったモノと人間は今後どのように接していき、どのような道を歩んでいくのか。『BEATLESS』と『虚構内存在』はその問題に対して立ち向かった相似的な作品だ。そして、本イベントはそんな二つの探求の形の交点を垣間見れたものだったと言える。


BEATLESS』、『虚構内存在』で描かれ、今回のイベントの中心的な議題となったモノとヒトの共存が進んだ新しい社会像は確かに向かえつつある。


しかし、あくまで本イベントで語られたのは、“像”=イメージだ。ただ本イベントでも語られたような来たるべき社会像を認識するだけではなく、私たち自身がその認識を前提として何か行動を起こすことが重要なのではないか。
SFは非常に優れた思考実験である。しかし、思考を思考のままでとどめておくのでは意味がない。