須藤古都離もまた、潮谷験同様、柾木政宗と同じような立ち位置にいる。須藤も柾木のようにデビュー作の印象が読者の中に強く残っているせいか、作品ごとに作風を変えており、その変化は潮谷よりも自由奔放だ(潮谷は謎解きという軸足自体は動かさない分、須藤よりも制限が多い)。
須藤古都離は〝ゴリラ〟と〝裁判〟という一般的には結び付かない単語を組み合わせ、変人弁護士によってゴリラの権利を主張する裁判を描いた『ゴリラ裁判の日』でデビューした。さらに2作目である『無限の月』はデビュー作『ゴリラ裁判の日』ともまた異なるタイプの物語だった。
日本で暮らす男性がSF的なアイテムを用いて、中国で暮らす女性の過去を追体験することで、彼我の境界が曖昧になっていく冒頭から始まり、主に中国を舞台にしたサスペンスへと展開は移っていくのだが、物語の底には曖昧さの肯定があるように思えてならない。
知能を持ったゴリラが現状を変えようと積極的に行動する『ゴリラ裁判』と、科学装置によってふたりの人物がそれまでの人生を共有することで、その相手の人生に(やや現実逃避的に)憧れていく『無限の月』では方向性が違うように思えるが、それでもヒトとゴリラ、彼と彼女、その境界線を無くそうとする/無くなっていくという共通点が存在している。さらに付け加えると、太極図のように白と黒とに分かれながらも、両者が混ざり合った部分を白や黒だと強制的にグループ分けするのではなく、そのまま曖昧な部分として許容する、そんな優しさが両作ともに垣間見えていた。
そんな2作品に続く須藤の3作目は〝ゾンビ〟ものだった。







